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◆赤羽南
武州鉄道は、その終点の予定地を、川口・蕨・赤羽などと繰り返し変更し、また初期には千住への分岐線や、一時は巣鴨への延長を構想していたという歴史があるが、このうち、赤羽への乗り入れについては実際にかなりの進展を見せた時期がある。赤羽駅構内が狭隘であることや、地価が高くなったことから、鉄道省が所有していた専用線の跡地を購入し、赤羽駅に向かうこととしていた。実際、その払い下げ代金の一部を、鉄道省に収めていたという経緯がある。このため、この廃線跡は、厳密には武州鉄道のものではないとも言えるが、都内で見られる唯一の名残として紹介しておきたい。
※地図上の「赤羽南1-1」と「同1-2」の間が左写真の地点。そこから「赤羽南2-15」にかけて廃線跡がある。その下に見える大きなカーブを描いた道路は、上記の専用線が廃止された後、代替に建設された専用線の跡。専用線は、当初北へ曲がっていたものを、南へ曲がるように変更されたのだが、その時廃線になった北への線路跡を、武州鉄道が購入しようとしていたのである。

微妙なカーブを描く道路 奥に見えるJRの線路に吸い込まれるように続いている
東京都北区赤羽南 '06.5 |

道路を斜に越える 奥に見えるタクシー会社の車庫の角度に注目
東京都北区赤羽南 '06.5 |

神根駅の夢のあと…
川口市大字石神 '06.5 |
◆神根
昭和12年から13年の路線廃止までの間、武州鉄道の終点となっていた「神根」駅は、現在の国道122号線「石神」交差点付近に存在していた。 写真は国道122号線の石神交差点で、正面が東京方、背後が蓮田方面。ここから武州野田までの区間は、現在の国道122号線の上り線が、そのまま線路跡ということになる。 神根の駅があったのはこの交差点の向こう側、カツ丼屋や牛丼屋が建っているあたりとされている。この神根より先、赤羽方面への延伸の夢は、幻に終わってしまったのである。

武州大門駅前の食堂「あいだや」
さいたま市緑区大門 '02.1 |
◆武州大門
昭和3年から12年まで、武州鉄道の終点となっていた「武州大門」駅は、現在の国道122号線「大門」交差点付近に存在した。写真に写っている食堂「あいだや」は、当時から営業していた駅前食堂といわれる。当時、線路は左側に見える国道122号線の場所を通っていて、「あいだや」はその線路の反対側で営業しており、現在の店舗の場所は当時住居として使用していたといわれている。
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重殿社に残る「停車場道路工事記念」の石碑
さいたま市緑区中野田 '02.8 |
◆武州野田
武州大門までの開業と同時に開設された「武州野田」駅は、現在の東北自動車道浦和料金所すぐ北側、切り通しの中に存在していた。その武州野田駅のすぐ東側、「重殿社」(じゅうどのしゃ)と呼ばれる神社の敷地内に、「停車場道路工事記念」と彫られた石碑が残っている。この「停車場道路」とは、集落と駅を繋ぐための道路と思われる。 石碑の裏側には、道路工事の経緯や関係者の名前が彫り込まれており、昭和3年12月に駅が開業したのを受け、地元青年団の手によって翌昭和4年3月17日に起工、4月25日に完成したとの記述がある。

南側最初の遺構は駐車場
さいたま市緑区寺山 '02.1 |
◆寺山
ここまで紹介した、神根駅跡から埼玉スタジアム付近までは、国道に吸収されてしまい、その痕跡は消えてしまっている。線路の跡が姿をあらわすのは、ここ、さいたま市緑区寺山付近から。122号線上りのガソリンスタンド「JoMo」がある陸橋付近で東に分かれ、その先は自動車用品店「オートウェーブ」の駐車場となる。これが線路跡で、不自然なまでに細長い形態をしているため、判別は容易だ。(なお、この場所へは、オートウェーブ側からしか入れず、122号側から入ることはできない。)
◆伝右川(でんうがわ)
オートウェーブの駐車場を抜けるとすぐ、伝右川という小さな川が流れているが、ここに武州鉄道の橋台の一部が残されている。武州鉄道の遺構が、そのままの形で残っているのはここだけで、今となっては非常に貴重な遺構である。しかし、この場所は浦和美園駅周辺を開発する「みそのウイングシティ」の区画整理事業の範囲に含まれているため、取り壊されるのも時間の問題かもしれない。

伝右川に残る橋台の北側部分
さいたま市緑区高畑 '06.5 |

南(左)側の橋台はわずかに残るのみ
さいたま市緑区高畑 '06.5 |
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