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国道16号線を越えて…
さいたま市岩槻区仲町2丁目 '02.1 |
◆仲町2丁目
そして線路跡は国道16号線を越える。もちろん、当時国道はなく、後から出来た幅の広い道路の建設により、今では鉄路の痕跡を発見するのはとても難しい。この道路は国道16号線と斜めに交差する主要地方道さいたま越谷線で、写真の右側に見える空き地から左手前の酒屋にかけて、線路跡が横断している。左下の土地の区割りを見れば、さいたま越谷線と不自然な角度で斜めに交わっているのがわかる。なお、国道16号線は、空き地の向こう側を左右に走っており、この酒屋は、前項の地点(城南2丁目)の右側の写真中央に見えるオレンジ色の建物である。

今はもう面影もない
さいたま市岩槻区仲町1丁目 '06.5 |
◆岩槻(本社所在地)
この先、岩槻の市街地に入って行くため、線路跡の確認は困難である。文献によると、武州鉄道の本社や車両基地が置かれていた路線の要衝、岩槻駅があったのは、この写真の右側に見える、木が茂っている場所、現在のさいたま市立太田小学校とされている。写真の左は岩槻中学校で、線路はこの道路を横断して、現在の中学校の敷地へと続いていた。
◆岩槻中学校北側
岩槻中学校の敷地を突き抜けた線路跡は、左へカーブを描きながら、再び住宅地の中へと吸い込まれて行く。左の写真に見える道路は、その跡をなぞるように左へ緩くカーブしている。この場所のすぐ背後が岩槻中学校。そこから北へやや進んだ右の写真の場所では、左側に見える工務店の細長い敷地が線路跡で、右側の道路は線路跡に沿って通っている側道のようだ。

住宅の合間を縫うように…
さいたま市岩槻区太田1丁目 '06.5 |

工務店になった線路跡と側道
さいたま市岩槻区太田1丁目 '06.5 |

岩槻本通駅付近
さいたま市岩槻区本町6丁目 '06.5 |
◆岩槻本通
岩槻の市街地を走る、主要地方道さいたま春日部線の手前に「岩槻本通」駅があったとされている。現在の岩槻区役所(旧岩槻市役所)にも程近く、武州鉄道沿線でも賑わいを見せた場所のひとつだったと思われる。 写真を左右に横切る道路がさいたま春日部線で、道路の手前側(カメラの位置)が岩槻本通駅のあった場所と思われる。線路はこの道路と交差して進み、正面の空地が線路跡である。この先、浄安寺の門前まで、線路跡はいくつもの民家となって続いている。

お寺の門前を横切る線路跡
さいたま市岩槻区本町5丁目 '06.5 |
◆浄安寺
「岩槻本通」駅の痕跡は皆無に等しが、そこから更に北へ少し進むと、「浄安寺」というお寺があり、その門前がそのまま線路跡として残っている。鉄道開業当時に撮影された写真が文献に載っているが、それを見ると、右写真に写っている門の目の前を線路が通っていた様子がよくわかる。線路は、写真手前から奥の方に向かって延びていたようだ。

武州鉄道を跨いでいた野田線
さいたま市岩槻区本町5丁目 '06.5 |
◆渋江ガード
浄安寺の門前から更に少し北へ進むと、東武野田線と交差する。昭和4年に「北総鉄道」として開業した現在の野田線だが、その時点で既に武州鉄道が開通していたため、野田線はこの部分で高架とさぜるを得なくなったという、歴史の妙である。最近の複線化工事によって、昔のガーダー橋が撤去されてしまったが、それまでは開業当時の橋桁がそのまま残っており、武州鉄道を跨いでいた名残を伝えていたという。 写真の中央、鉄製の橋桁になっている部分が、昔の武州鉄道を跨いでいた部分で、線路は手前から奥の方へ延びていた。

竹薮の中に線路の跡が…?
さいたま市岩槻区宮町1丁目 '01.11 |
◆岩槻北口
「岩槻本通」駅の次は、「岩槻北口」という駅があった。この駅は、臨時駅から昇格したという経緯であるようだ。駅の場所は、野田線を越えて200mほどの、県道との交点付近と思われる。右写真の場所は、渋江の野田線ガードと岩槻北口駅の間の地点で、奥に見えるのが渋江ガード、そこから手前に向かって線路が延びていた模様。
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