赤羽南〜浮谷(北)
浮谷バス停〜岩槻北口
日の出町〜菖蒲駅予定地
写真にみる川口今昔Part.3

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 【2】浮谷バス停〜岩槻北口

浮谷BS1
県道との合流地点
さいたま市岩槻区浮谷 '06.5
◆浮谷バス停
 浮谷の駅の北側、浮谷バス停の付近で、線路跡は県道蒲生岩槻線に吸収されるかのように、道路と並行するようになる。写真の地点はバス停付近から神根方向へ合流地点を見たもので、画面右側の、壁のある土地が線路跡。正面の自動車整備工場の建物を境に、道路は左側から、線路跡は右側から合流している。合流地点の向こう側、数百メートル先が目白大学入口である。


浮谷倉庫1
今も残る浮谷駅の倉庫
さいたま市岩槻区南下新井 '03.1

◆浮谷駅にあった倉庫
 当時、浮谷駅の隣に関係者が所有していた倉庫が、現在も移築されて残っている。武州鉄道に関連する建築物が、移築されたとはいえ現存するのはこの倉庫のみであり、相当に老朽化しているものの、たいへん貴重な資料といえる。この建物があるのは、沿線から500mほど東に入った、南下新井という場所。文献によると、村がこの建物を引き取り、神輿の倉庫として使っていたそうである。しかし、何故わざわざこの地に移築され現存するのか、正確なところはわかっていないようである。


◆真福寺(しんぷくじ)
 浮谷バス停から、県道蒲生岩槻線の、北へ向かって左側にピッタリ並行して走る線路跡。浮谷駅から北へわずか800m程のところに「真福寺」駅があったとされており、文献によると、右写真に写っている庚申塔のある場所、とされている。駅と線路の跡はゴルフ練習場の敷地の一部となってしまっていることもあり、残念ながら、駅が存在していた雰囲気すら残っていない状況である。

真福寺1
ゴルフ練習場が駅のあたり?
さいたま市岩槻区真福寺 '06.5
真福寺2
県道の脇に佇む庚申塔
さいたま市岩槻区真福寺 '06.5

城南3丁目1
民有地になっている線路跡
さいたま市岩槻区城南3丁目 '02.1

◆城南3丁目
 浮谷バス停から北へ800m程の区間を県道蒲生岩槻線と並行した線路跡は、城南3丁目で再び進路を西よりに変え、県道から離れてゆく。ここからは住宅地になっており、これまでの区間に比べると線路跡の確認は極めて困難となる。写真の場所は県道から分かれてすぐの場所で、看板のある車庫の敷地が線路跡。この先、線路跡が住宅地の中に溶け込んでいる個所が目立つようになる。


◆城南2丁目
 住宅地に紛れ込んだ線路跡を追跡するのは難しくなる。しかし不思議なことに、民有地として区割りされてはいるが、それら1軒1軒の土地は、線路跡をトレースして、そのままの細長い形に連なっていることが多い。この付近も同様で、左写真に見える正面の白い建物とその手前の駐車場、そしてカメラポイントはすべて線路跡。左側に張り出した土地は線路跡に食い込んでいる三角形の土地になっている。
 一方、右写真は国道16号線と交差する手前で、正面突き当たりが16号線。このように一部は生活道路として生まれ変わっているが、それと教えられなければ判別は難しい。

※右写真Mapiongoogle
城南2丁目1
駐車場として残る線路跡
さいたま市岩槻区城南2丁目 '02.1
城南2丁目2
生活道路に…突き当たりは国道16号
さいたま市岩槻区城南2丁目 '06.5

R16号1
国道16号線を越えて…
さいたま市岩槻区仲町2丁目 '02.1
◆仲町2丁目
 そして線路跡は国道16号線を越える。もちろん、当時国道はなく、後から出来た幅の広い道路の建設により、今では鉄路の痕跡を発見するのはとても難しい。この道路は国道16号線と斜めに交差する主要地方道さいたま越谷線で、写真の右側に見える空き地から左手前の酒屋にかけて、線路跡が横断している。左下の土地の区割りを見れば、さいたま越谷線と不自然な角度で斜めに交わっているのがわかる。なお、国道16号線は、空き地の向こう側を左右に走っており、この酒屋は、前項の地点(城南2丁目)の右側の写真中央に見えるオレンジ色の建物である。


岩槻1
今はもう面影もない
さいたま市岩槻区仲町1丁目 '06.5

◆岩槻(本社所在地)
 この先、岩槻の市街地に入って行くため、線路跡の確認は困難である。文献によると、武州鉄道の本社や車両基地が置かれていた路線の要衝、岩槻駅があったのは、この写真の右側に見える、木が茂っている場所、現在のさいたま市立太田小学校とされている。写真の左は岩槻中学校で、線路はこの道路を横断して、現在の中学校の敷地へと続いていた。


◆岩槻中学校北側
 岩槻中学校の敷地を突き抜けた線路跡は、左へカーブを描きながら、再び住宅地の中へと吸い込まれて行く。左の写真に見える道路は、その跡をなぞるように左へ緩くカーブしている。この場所のすぐ背後が岩槻中学校。そこから北へやや進んだ右の写真の場所では、左側に見える工務店の細長い敷地が線路跡で、右側の道路は線路跡に沿って通っている側道のようだ。

※左写真Mapiongoogle
岩槻中学北1
住宅の合間を縫うように…
さいたま市岩槻区太田1丁目 '06.5
岩槻中学北2
工務店になった線路跡と側道
さいたま市岩槻区太田1丁目 '06.5


岩槻本通1
岩槻本通駅付近
さいたま市岩槻区本町6丁目 '06.5

◆岩槻本通
 岩槻の市街地を走る、主要地方道さいたま春日部線の手前に「岩槻本通」駅があったとされている。現在の岩槻区役所(旧岩槻市役所)にも程近く、武州鉄道沿線でも賑わいを見せた場所のひとつだったと思われる。
 写真を左右に横切る道路がさいたま春日部線で、道路の手前側(カメラの位置)が岩槻本通駅のあった場所と思われる。線路はこの道路と交差して進み、正面の空地が線路跡である。この先、浄安寺の門前まで、線路跡はいくつもの民家となって続いている。


浄安寺1
お寺の門前を横切る線路跡
さいたま市岩槻区本町5丁目 '06.5

◆浄安寺
 「岩槻本通」駅の痕跡は皆無に等しが、そこから更に北へ少し進むと、「浄安寺」というお寺があり、その門前がそのまま線路跡として残っている。鉄道開業当時に撮影された写真が文献に載っているが、それを見ると、右写真に写っている門の目の前を線路が通っていた様子がよくわかる。線路は、写真手前から奥の方に向かって延びていたようだ。


渋江1
武州鉄道を跨いでいた野田線
さいたま市岩槻区本町5丁目 '06.5

◆渋江ガード
 浄安寺の門前から更に少し北へ進むと、東武野田線と交差する。昭和4年に「北総鉄道」として開業した現在の野田線だが、その時点で既に武州鉄道が開通していたため、野田線はこの部分で高架とさぜるを得なくなったという、歴史の妙である。最近の複線化工事によって、昔のガーダー橋が撤去されてしまったが、それまでは開業当時の橋桁がそのまま残っており、武州鉄道を跨いでいた名残を伝えていたという。
 写真の中央、鉄製の橋桁になっている部分が、昔の武州鉄道を跨いでいた部分で、線路は手前から奥の方へ延びていた。


岩槻北口
竹薮の中に線路の跡が…?
さいたま市岩槻区宮町1丁目 '01.11
◆岩槻北口
 「岩槻本通」駅の次は、「岩槻北口」という駅があった。この駅は、臨時駅から昇格したという経緯であるようだ。駅の場所は、野田線を越えて200mほどの、県道との交点付近と思われる。右写真の場所は、渋江の野田線ガードと岩槻北口駅の間の地点で、奥に見えるのが渋江ガード、そこから手前に向かって線路が延びていた模様。



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