赤羽南〜浮谷(北)
浮谷バス停〜岩槻北口
日の出町〜菖蒲駅予...
写真にみる川口今昔Part.3

MISONO-WEBモバイル
QRコードで簡単アクセス!
 【3】日の出町〜菖蒲駅予定地

日の出町
住宅地の中に現れた線路跡
さいたま市岩槻区日の出町 '06.5
◆日の出町
 「岩槻北口」駅から北側は、古くからの住宅街となっている。このため線路跡のトレースは難しいが、線路跡に建つ宅地の境界線はそのまま武州鉄道の敷地に従っており、土地の区割りを確かめれば、線路がどのようなコースを通っていたかの判別は可能である。
 写真はそんな住宅地の中で見つけた、空き地となっている線路跡。この付近では、もはやこのような形でしか線路の痕跡を確認することができないようだ。


◆美幸町
 日の出町より北側は美幸町に入る。美幸町内も日の出町同様、マス目に立ち並ぶ住宅地の中に姿を隠してしまっている。線路跡はそれらの敷地の境界線として、かろうじてその存在を示しているに過ぎないが、他の宅地が整然とマス目に区割りされているのに対し、線路跡の宅地だけは明らかに角度が異なっており、判別は比較的容易である。特に左写真のアパートは武州鉄道廃線跡のなかでも特に有名なもので、非常に特徴的な建て方をしているので分かりやすい。しかし近年になって、連棟となっているうちの1棟が取り壊されてしまうなど、変化の波は確実に訪れてきている。

※左写真Mapiongoogle
美幸1
線路跡に細長く建つアパート
さいたま市岩槻区美幸町 '06.5
美幸2
斜めの境界線で三角形になった畑地
さいたま市岩槻区美幸町 '01.11

◆西原団地付近
 住宅がぎっしりと立ち並ぶ美幸町を抜けると、畑地と宅地がポツポツと点在するようになる。このあたりはビニールハウスも目立つような場所で、線路跡も簡単にみつかりそうだが、実際には農地に埋もれてしまっている箇所がほとんど。線路跡は細い生活道路とほぼ並行しているが、パッと見てそれとわかるところは少ない。左写真はそんなゴミゴミした敷地のうち、比較的判別しやすかった美容室の敷地。右写真は比較的容易に判別できる個所で、中央のフェンスで囲まれた土地を中心に、奥の茶色い屋根の住宅から左手前にかけてが線路だった土地だ。

※右写真Mapiongoogle
西原団地1
この美容室も線路跡の上に建っている
さいたま市岩槻区大字岩槻 '06.5
西原団地2
緑色のフェンスが線路跡…
さいたま市岩槻区大字岩槻 '06.5

平林寺1
線路跡に建つ平林寺公民館
さいたま市岩槻区平林寺 '06.5

◆平林寺公民館(河合駅)
 さらに北へ進むと、平林寺公民館がある。公民館の建物は奥まっていて、その手前には細長い駐車場スペースがあり、いかにも線路跡という雰囲気が漂っている。ここは岩槻中心部とは異なり、線路跡であることがハッキリとわかる。そのためか、武州鉄道を扱った文献には、必ずと言って良いほどこの平林寺公民館が登場している。
 この場所の少し南にコンクリート工場があるが、その付近に「河合」駅があった。ただし、河合駅の所在地については文献によって若干のぶれがあり、正確な位置はわからない。


平林寺2
畑の境界線が線路跡を主張
さいたま市岩槻区平林寺 '02.1

◆平林寺
 平林寺公民館の先は再び工場や民家、そして畑地になっており、はっきりと線路跡の様相を呈している個所は少ない。そのなかでも比較的判別がしやすいのが、写真の地点。畑地の境界線が道路と斜めになっており、不自然さが際立っている。ところが、実際にはこの境界線は線路跡とは微妙に角度が異なっている。これは推測だが、線路跡の敷地境界を、隣家で対角線状に折半したのかもしれない。同様の不思議な境界線は、このほかにも所々に散見される。


河合小学校
道路になった線路跡 奥が蓮田方
さいたま市岩槻区平林寺 '01.11

◆河合小学校
 平林寺の先は工場の中を通り、河合幼稚園の敷地に入る。そこを抜けると、線路跡は突然、道路になっており、河合小学校の敷地を突き抜ける形で、まっすぐに伸びている。写真の場所が河合小学校付近で、正面に見える橋は線路跡の道路の両側を結ぶ小学校の橋。この先、道路は東北自動車道へ向かっていく。


東北道
この先を東北自動車道が横切る
さいたま市岩槻区馬込 '06.5
◆東北自動車道
 河合小学校を横切る線路跡の道路を、蓮田方向へたどって行くと、ほどなく東北自動車道にぶつかり、線路跡の道は途切れてしまう。しかし、東北自動車道を越えるとすぐ、線路跡は、まともに舗装もされていないような道路となって続いてゆく。
 写真の場所は、東北道を越えてすぐの地点から振り返って東北道方向を写したもので、道が途切れているすぐ向こうを東北道が横切っている。

◆馬込駅
 東北自動車道から北西へ、線路跡の道を進んでゆくと、国道122号線の旧道と交差する。交差してすぐの地点にある材木店付近に、「馬込」駅が存在していた。

※左写真Mapiongoogle
馬込1
国道122号から東北道方面へ続く線路跡
さいたま市岩槻区馬込 '05.6
馬込2
馬込駅の裏側 線路跡は竹やぶに
さいたま市岩槻区馬込 '01.11

馬込車站建設碑
「馬込車站建設碑」
さいたま市岩槻区馬込 '02.11

◆馬込車站建設碑
 現在、馬込駅の跡の民有地に隣接する土地に、馬込駅の建立を記念した石碑が残っている。この石碑は、表面に「馬込車站(しゃたん)建設碑」と彫られたもので、裏面には駅の建設に協力した人物の名前が連ねて彫られている。石碑は長い歳月の間に、倒れるなどして中間部から二つに折れてしまっており、右の写真はデジタル処理によってオリジナルの姿に復元したものである。(土地所有者の許可を得て撮影)


蓮田市東1
整理された住宅地に僅かに残る線路跡
蓮田市東6丁目 '06.5

◆蓮田市街
 蓮田市内に入ると、線路跡の周辺は、昭和後期に市街化されてしまっており、その姿を確認することは不可能か、あるいは極めて困難となっている。しかしそのような中にも、住宅地の敷地の角度が斜めになっている場所など、線路跡であることを判別できる個所がある。ただし、これらを発見するのためには、住宅地図や昔の地図などの資料、廃線探索の経験などが必要と思われる。
 写真の場所は、宅地化された中でも、もとの道路の配置の関係で、線路跡の土地区画がごくわずかに残っている個所である。一方、馬込駅跡からこの地点までは、完全に区画整理されてしまい、全く線路の跡をたどることはできない。


中央公民館
蓮田駅に向かってカーブを描く線路跡
蓮田市東6丁目 '06.5

◆蓮田市中央公民館
 いよいよ線路は蓮田駅に近づく。蓮田駅に入る手前、線路跡はカーブを描いてJR蓮田駅と並ぶように寄り添ってゆく。この場所は蓮田市の中央公民館の土地で、その駐車場が武州鉄道の線路跡そのもの。写真の、白いポールが4本立っている場所から、奥の方へ向かっているスペースがそれである。
 廃止後半世紀以上を経てもなお、主要駅の近くにこれほど明瞭な線路跡が残っているというのは、極めて貴重な遺構といえるだろう。


◆蓮田駅
 いよいよ線路は蓮田駅に到着する。中央公民館の駐車場を抜けると、線路跡の土地は立派な自転車駐輪場となっている。この駐輪場の隣はJR宇都宮線の蓮田駅ホームである。当時、いまのJRは「官線」と呼ばれていたが、官線のホームと並んで、武州鉄道のホームが設けられていたことになる。ここが武州鉄道の終点であった。
 なお、この駐輪場の先が、JR蓮田駅東口の駅前広場である。

※左写真Mapiongoogle
蓮田1
蓮田駅のホーム跡に建つ駐輪場
蓮田市本町 '06.5
蓮田2
JR蓮田駅東口の駅前広場
蓮田市本町 '06.5

菖蒲駅跡
絶たれた夢は風に揺れる緑の穂
久喜市菖蒲町菖蒲 '04.8

◆菖蒲駅予定地
 ところで、武州鉄道は、蓮田より先、菖蒲までの建設に着手していた。このうち菖蒲駅については、実際に駅部分の用地を確保し、整地を行い、構内水路の開渠の工事まで行われていたという。
 その後、武州鉄道の廃止、解散によりこの駅の存在はまさに「幻」に終わってしまったわけだが、そんな菖蒲駅の跡は、いまでも遠くの夢を見たまま、深い眠りから目を覚ましていない。60年以上の時を経て、工事をしていた痕跡は完全に消え去っているが、周囲の宅地の合間を彩る緑の畑地となり、その存在を静かに主張しているのである。
 右写真の中央に広がる、緑ゆたかなこの部分が、武州鉄道菖蒲駅予定地の跡。そしてこれより先、羽生、日光方面へと続いた武州鉄道の夢の形を見ることは、ない。



もどる


著作権法に触れますので無断転載は固くお断りします。
リンクフリーですが、なるべくメールにてお知らせ下さい。